まさにそうあるべ きように起こっている 

この人 どう見えますか?
浮いてるように見えますか?
流れに乗っていますか?
流れに逆らっていますか?
沈んでいくようにみえますか?

あなたがみたもの
それが
今 「自分で思っている」あなたです
なので
自分の意識が変われば 
見えてくるものも変わります

OSHO禅タロット 
小アルカナ 
水「流れと共にいく」

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解説
このカードの人物は水のなかで
完全にくつろぎ、楽にして、
水の流れに任せています。
彼は怠惰になったり
眠くなったりすることなく、
受け身で受容的であるアートを
マスターしています。
「それはいやだ」とか
「別の方向に行きたい」
という考えなどま ったくなく、
生の流れに身をゆだねています。
生という水に入って浮かぶか、
それとも流れをさかのぼって泳ぐのか、
生のあらゆる瞬間ごとに
選択の余地が残されています。
リーディングでこのカードが現われたときは、
あなたは今、
浮かぶことができる
ということを示しています。
生はくつろぎを支えてくれて、
まさに生の望むところに
自分を連れて行ってくれるのだと信頼して——。
信頼とくつろぎ
というこのフィーリングが
さらにさらに成長 していくのを許しましょう。
あらゆることは、
まさにそうあるべ きように起こっています。

OSHOの言葉
「水になりなさい」と私が言うとき、
私は流れになることを意味している。
澱んだままではいけない。
動くがいい、
しかも、
水のように動くがいい。

老子は言っている——
タオの道は水の流れる道だ。
それは水のように動く。
水の、
あるいは川の動きとはなんだ ろう?
その動きには
素晴らしいところがいくつかある。
ひとつに、
それはつねに深みに向かって動く、
もっと も低い地をつねに探し求める。
それには野心が ない。
最初の者になろうと
渇望することはけ っしてない。
最後の者になりたいのだ。

覚えておくがいい。
エスはこう言 っている——
ここで最後の者こそ、
私 の神の王国では最初の者となるだろう。
彼は、
タオの水 の流れる道について語っている——
言及してはいないが、
それについて語っているのだ。
最後の者であるがい い、
野心なくあるがいい。
野心とは、
上に 向かって行く
という意味だ。
水は下に行く。

もっとも低い地を探す。
それは何者でもない ことを望む。
自分はユニークだ、
例外だ、
特別だ
と宣言することは望まない。
エゴの 観念はない